和歌山県の歴史
- 1868年 紀州藩が和歌山藩・ 田辺藩・新宮藩の3藩に分かれる。
- 1871年 廃藩置県により和歌山県・田辺県・新宮県となる。
- 江戸時代まで,高野山寺領であった地域は,1869年8月に堺県,1870年4月に五條県と所属を変えながら,1871年11月に和歌山県に統合され,伊都郡と那賀郡に分かれて入りました。また田辺県は,全域が,新宮県は新宮川(熊野川)と北山川の右岸の部分が和歌山県に統合され,左岸は度会県(三重県)になりました。そのため牟婁郡の一部(現在の三重県の南・北牟婁郡)が度会県になりました。このように紀伊国を河川によって県域を定めたことが,北山村と新宮市熊野川町の一部に飛地を残すことになったのです。和歌山県への統合が落ち着く間に,飛地という地域がある全国でもめずらしい県境が決まりました。