石川県の歴史
- 1869年 版籍奉還で加賀藩は金沢藩となり、14代藩主前田慶寧は金沢藩知事に任命された。
- 1871年 廃藩置県が行われ、金沢藩域は金沢県(第1次)、大聖寺藩域は大聖寺県となった。同年両県を廃止し、旧・金沢県より射水郡以外の越中国新川郡、婦負郡、礪波郡を分けて新川県を設置、能登国と越中国射水郡に七尾県を、加賀地方に金沢県(第2次)を置いた。
- 1872年 金沢県庁を石川郡美川町(現・白山市美川南町)に移し、この郡名より石川県と改称した。同年に射水郡を除く七尾県を石川県に併合(射水郡は新川県に併合)、足羽県より白山麓18か村を併合し、現在の石川県と同じ県域となった。
- 1876年 当時の新川県(現在の富山県域にほぼ相当)と敦賀県(現在の福井県域にほぼ相当)の嶺北地域を編入し、富山と福井に支庁を置いた(現在の石川県と区別する意味で「大石川県」と呼ぶことがある)。
- 1881年 福井県が石川県より分離。
- 1883年 富山県が石川県より分離し、現在の県域となる。